心に残る昭和の記憶「プラモデル」:夢中になった日々

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昭和の思い出

昭和の時代、どこの街にもおもちゃ屋さんがありました。おもちゃ屋さんで、特に男の子たちに人気があったのは、色とりどりの箱に収められたプラモデルでした。

プラモデルと聞くと昭和の少年時代が、懐かしくよみがえる方も多くいらっしゃることでしょう。

記事では、イラストを描いているhideさんが、プラモデルに夢中になっていた日々を振り返りながら、その当時の昭和の時代を、一緒に振り返りたいと思います。

そして、あの頃の夢中になっていた時間がどれほど素晴らしいものであったかを、改めて感じていただけたら幸いです。

昭和をモチーフにしたオリジナル塗り絵や、思い出の昭和のオーダーメイドイラストを描いている小さな工房、「ひふ美と工房」のブログです。暮らに便利な情報もお届けしています。

ブログ記事は、サイトの制作・運営をしているfu管理人が書いています。

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昭和時代のプラモデル文化の背景

日本にプラモデルが渡ったのは、1950年代初めのことでした。当時、アメリカでプラモデルが普及し始め、主に在日米軍関係者によって日本にもたらされたそうです。

1956年から1957年にかけて、外国製のプラモデルを輸入して販売する店が現れ、玩具メーカーのマルサン商店や、模型メーカーの日本模型がプラモデルの国産化を模索し始めました。

1956年10月、日本プラスチックが海外メーカーのプラモデルの下請け製造を開始し、日本初のプラモデル「ゼロ戦」が発売されました。

同時期に、マルサン商会も「原子力潜水艦ノーチラス号」を発売し、日本国内でプラモデル製造が本格化したそうです。

hideさんとプラモデル

fu管理人
fu管理人

プラモデルに思い入れありそうだよね。

イラスト担当hideさん
イラスト担当hideさん

プラモデル作りは大好きで、

特に「紫電改」を作ったことが一番懐かしく思いだされるかなぁ。

hideさんは、1951年(昭和26年)生まれです。fu管理人は1961年生まれ(昭和36年)生まれです。同じ昭和生まれといっても、その間には幅があり、知らないことも多いです。

hideさんの思い出話を元に、知らなかったりわからなかったことは調べてみましたので、昭和の空気感が共有できればと思っています。

まずは、素朴な疑問から解決していきましょう。

そもそも、「プラモデル」って何?

プラモデルとは、プラスチック製の組み立てモデルのことです。商標登録もされており、英語では「Plastic Model」と呼ばれます。

製品の種類

  • スケールモデル
    実在のものを縮小した模型のことです。たとえば、車・飛行機・船・建物などがあります。縮小比率があり、「1/48(48分の1)」や「1/144(144分の1)」などと表記されます。

  • 架空のモデル
    アニメや映画に登場するキャラクターや兵器などです。たとえば、ガンダムやスターウォーズの模型などです。

「紫電改」って何ですか?

「紫電改(しでんかい)」とは、第二次世界大戦末期に日本軍が開発した新鋭戦闘機です。この飛行機は「紫電(しでん)」という既存の戦闘機の改良型として、誕生しました。

ゼロ戦に変わる新たな戦闘機として期待され、海軍の中で最も優れた戦闘機と言われています。

イラスト担当hideさん
イラスト担当hideさん

ちばてつやの「紫電改のタカ」という漫画が大好きで

「紫電改」のプラモデルは、思い入れがあります。

紫電改のタカ(しでんかいのタカ)は、ちばてつやの漫画。少年漫画誌『週刊少年マガジン』に1963年昭和38年)7月から1965年(昭和40年)1月まで連載され、その後も新書/文庫による単行本が出版された。

ウィキペディア(Wikipedia) 紫電改のタカ

1960年代前半のプラモデルの主流といえば

1950年代~1960年代にかけてプラモデルは、軍艦や飛行機といった実物の縮尺模型が主流でした。

「紫電改のタカ」の連載が始まった1960年代前半は、「戦記もの」と呼ばれる少年漫画が数多く存在していました。

昭和の記憶(昭和38~40年)頃

hideさんが、「紫電改のタカ」を少年漫画で読み、プラモデルを夢中になって作っていたのは、小学6年生から中学生にかけての頃のようです。

昭和38年頃から、40年頃になります。その頃の昭和を振り返ってみましょう。

【昭和38年】

テレビアニメ「鉄腕アトム」の放送が始めりました。NHKの大河ドラマも放送開始となり、第1作目は「花の生涯」です。

この年の流行った曲は、梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」・坂本九の「見上げてごらん夜の星を」・ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」などです。

日清食品の「日清焼きそば」・江崎グリコの「プリッツ」もこの年発売されたそうで、ずいぶん前からある商品なんですね。

【昭和39年】

東海道新幹線が開業し、東京オリンピックも開催されました。坂本九の「明日があるさ」・「幸せなら手をたたこう」や、都はるみの「アンコ椿は恋の花」・美空ひばりの「柔」もヒットした年です。

流行った言葉に、「ウルトラC」やおそ松くんの「シェー」などがありました。「ひょっこりひょうたん島」も流行っていました。

カルビーの「かっぱえびせん」も、ロッテの「ガーナチョコレート」もこの年発売です。今も変わらず、ずっと愛され続けていますね。

大関酒造の「ワンカップ大関」もこの年です。昭和のお父さんや、おじいちゃんが良く飲んでいましたね。

【昭和40年】

加山雄三の「君といつまでも」や、都はるみの「涙の連絡船」、北島三郎の「函館の女」がヒットした年です。

エレキブームやモンキーダンスが流行り、「アイビールック」や「モンキー族」「みゆき族」などと呼ばれる人たちもいました。子どもの頃のなので、ファッションのことはわかりませんが、昭和36年生まれの私も見ていた、テレビアニメ「ジャングル大帝」の放送も開始しました。

「ジャングル大帝」は、日本最初のカラーテレビアニメだそうです。

fu管理人
fu管理人

放送開始時は、4歳なので

おそらく、再放送を何度もやっていたのだと思います。

「ジャングル大帝」を子どもの頃見ていた記憶はあります。

昭和38年~40年の日本は戦後復興を成し遂げ、高度成長期に突入していましたが、戦争の影響はまだ社会に根付いていました。

hideさんの父親も戦争に行きました。私が子どもの頃は、戦争の時の話をする大人が周りにたくさんいました。祖父母や、両親、親戚のおじちゃんおばちゃんが、戦時中のことを話してくれたのを覚えています。

昭和への懐かしさと温かさをhideさん思い出す

イラスト担当hideさん
イラスト担当hideさん

プラモデル作りに夢中になった、あの頃を思い出して

イラストを描いていた時間は、やはり楽しかったです。

貯めたお小遣いを握りしめ、おもちゃ屋さんでどのプラモデルを買おうかと悩む時間もまた、楽しいひと時でした。

ひとつのプラモデルを選んで、家に帰り箱を開ける瞬間も格別のものがありました。プラモデルの箱を開けると、中にはプラスチックのパーツがあり、説明書に沿って一つ一つ組み立てていく工程は夢中になれる楽しい時間でした。

手先の器用さを試される場面も多く、時には上手くいかず何度もやり直しましたが、それすらも良い思い出です。

またあの頃を思い出して、プラモデルを作ってみようと思っています。

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まとめ

記事では、hideさんの「プラモデル」作りの思い出を振り返りました。懐かしい昭和の時代を思い出していただけたかもしれません。

懐かしい思い出は、こころを元気にしてくれるはずです。

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