昭和生まれのこれからの日々を 「トトノ・エール」 (整える/調える)
  〜小林さんの話 #5〜
ひふ美と工房 これからの日々を、トトノエール > 小林さんの話5

5. アンカーズに込めた想い

先日小学校の同級会があった。
20名弱の懐かしい面々との再会だ。
担任の先生からもお二人お越し頂き楽しい時間を過ごした。

私には、小学生時代の忘れられないエピソードがある。
それは3年生ぐらいの頃だろうか、
クラスの仲間から「お前の父ちゃんバキュームカーに乗ってる。クセ〜」と、
からかわれた。私は特に気にもせず遊んでいたが、
担任がそれを見ていて「そんな人もいないとダメなんだよ」と仲間に注意した。
担任のその一言を忘れることができない。
父親をバカにされた思いだった。

20年生まれの父は貧しかった為、中学を卒業するとすぐ船乗りとなり、
間もなく一番稼げるマグロ船に乗った。
その後マグロ船の船長までなったが、30歳で墓を守るため実家に戻り
浄化槽維持管理会社に就職した。

そして昭和52年、父32歳の時に創業のメンバーとして当社、
環境管理センターを立ち上げ現在では2代目社長となっている。
当時の新規住宅着工ブームとトイレの水洗化の追い風を受け、
当社は浄化槽の維持管理業者としてスタートした。

父は青春時代のほとんど全てを船で過ごした。
マグロ船時代のガーナ・フランクフルト・マドリードといった
色々な国・都市での思い出や武勇伝を父からよく聞かされた。

しかしある時、その話の最後に
「けど丘に上がってからの方がずっと大変だった」と話すことがあった。
船での生活が相当過酷な状況だったため、その凄まじさを感じずにはいられない。

私が小学生ぐらいの頃の父は、
ほとんど休みも無くバキュームカーやゴミ収集車に乗って働いていた。
僕にとって父はスーパースターだ。だからこそ私は、
担任のその一言を悔しさと共に今でも鮮明に覚えている。

私は父が立ち上げた環境管理センターを、
これまで以上に社会から必要とされ、信頼される会社にしたい。
「あの会社で働いてるの?凄いね」そんな風に言って頂ける会社だ。

           
  
「アンカーズ」とは当社の整理収納に特化した部門に付けた屋号だ。
父は浄化槽維持に加え廃棄物処理の分野を開拓した。
三代目の私は、その廃棄物処理にその上位概念であるモノの整理を加える。

ANCHOR(アンカー)とは“船のいかり”だ、
私はヒーローへの尊敬を示しこの名前で勝負をかける。


次を読む #06 高齢者のお引っ越し

                      





  【片づけのプロ 小林さんの話】
#01 イントロ
#02 親家片(おやかた)
#03 住まいの後始末
#04 男性の収集癖
#05 アンカーズに込めた想い
#06 高齢者のお引っ越し
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あの頃タウンの
小林さん

*あの頃・タウン*美虹町では、ときわ島在住灯台守をしつつ、不定期で昭和生まれのこれからを、応援するチア・リーダーとして活動。

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