先日小学校の同級会があった。
20名弱の懐かしい面々との再会だ。
担任の先生からもお二人お越し頂き楽しい時間を過ごした。
私には、小学生時代の忘れられないエピソードがある。
それは3年生ぐらいの頃だろうか、
クラスの仲間から「お前の父ちゃんバキュームカーに乗ってる。クセ〜」と、
からかわれた。私は特に気にもせず遊んでいたが、
担任がそれを見ていて「そんな人もいないとダメなんだよ」と仲間に注意した。
担任のその一言を忘れることができない。
父親をバカにされた思いだった。
20年生まれの父は貧しかった為、中学を卒業するとすぐ船乗りとなり、
間もなく一番稼げるマグロ船に乗った。
その後マグロ船の船長までなったが、30歳で墓を守るため実家に戻り
浄化槽維持管理会社に就職した。
そして昭和52年、父32歳の時に創業のメンバーとして当社、
環境管理センターを立ち上げ現在では2代目社長となっている。
当時の新規住宅着工ブームとトイレの水洗化の追い風を受け、
当社は浄化槽の維持管理業者としてスタートした。
父は青春時代のほとんど全てを船で過ごした。
マグロ船時代のガーナ・フランクフルト・マドリードといった
色々な国・都市での思い出や武勇伝を父からよく聞かされた。
しかしある時、その話の最後に
「けど丘に上がってからの方がずっと大変だった」と話すことがあった。
船での生活が相当過酷な状況だったため、その凄まじさを感じずにはいられない。
私が小学生ぐらいの頃の父は、
ほとんど休みも無くバキュームカーやゴミ収集車に乗って働いていた。
僕にとって父はスーパースターだ。だからこそ私は、
担任のその一言を悔しさと共に今でも鮮明に覚えている。
私は父が立ち上げた環境管理センターを、
これまで以上に社会から必要とされ、信頼される会社にしたい。
「あの会社で働いてるの?凄いね」そんな風に言って頂ける会社だ。
「アンカーズ」とは当社の整理収納に特化した部門に付けた屋号だ。
父は浄化槽維持に加え廃棄物処理の分野を開拓した。
三代目の私は、その廃棄物処理にその上位概念であるモノの整理を加える。
ANCHOR(アンカー)とは“船のいかり”だ、
私はヒーローへの尊敬を示しこの名前で勝負をかける。
次を読む #06 高齢者のお引っ越し
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あの頃タウンの
小林さん
*あの頃・タウン*美虹町では、ときわ島在住。灯台守をしつつ、不定期で昭和生まれのこれからを、応援するチア・リーダーとして活動。
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美虹町*ときわ島
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小林さんについて、詳しく知りたい方は、リンク先に進んでください。
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「トトノ・エール」
ひろ美さんの話
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