昭和の時代は長いので、始めの頃と終わりではずいぶんと生活様式が変わっています。
昭和のおもちゃでいうと「ぶりきのおもちゃ」はプラスチック製になりました。そして「セルロイドのお人形」は塩化ビニール製に変わり、おもちゃの世界も技術革新が進んでいきました。
子どもの頃に大切にしていた、大好きなおもちゃはありましたか。
記事では昭和の光景を描いた塗り絵から「昭和のモノ」6月を紹介しています。塗り絵に書かれているブリキのおもちゃやセルロイドのお人形についても触れています。
無料でダウンロードできますので、レトロな昭和の時代を懐かしんで塗り絵をお楽しみください。
昭和をモチーフにしたオリジナル塗り絵や、思い出の昭和のオーダーメイドイラストを描いている小さな工房、「ひふ美と工房」のブログです。
ブログ記事は、サイトの制作・運営をしているfu管理人が書いています。
この記事は内容を追記し、塗り絵がダウンロードできるようにページを更新しました。
「昭和のモノ」塗り絵6月
・クリックするだけで、直接ダウンロードできますので、ぜひご利用ください。
・A4サイズ・モノクロ・ヨコ・pdfデータです。
【昭和のモノ】塗り絵:6月
※無料でご利用いただけますが、イラストの著作権は放棄いたしておりません。
ほかにもたくさん塗り絵があります。
デイサービスや老人ホームなどの介護施設でのレクリエーションや、おうちでのお楽しみにもぴったりな、たくさんのぬりえを掲載。
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塗り絵をしながら会話を楽しみましょう
時代も変わって、おもちゃの素材も変わってきました。子どもの頃はどんなおもちゃで遊んでいたか、思い出してお話することは、楽しいですよね。
特に大切にしていたものや、手に入れた経緯、どんな遊びかたをしていたかなど今の子どもたちに伝えたいことなどを話したり聞いたり楽しい時間にしてください。
ブリキのおもちゃはいつ頃まで
昭和レトロのおもちゃというと、ブリキのおもちゃを思い浮かべる方も多いと思いますが昭和36年生まれの私は、遊んだ記憶はありません。
いつものごとく、昭和26年生まれのhiddeさんに聞いてみることに‥
ブリキのおもちゃ、持ってたの?
イラスト描いている時に、思い出したんだよね‥
ゼンマイで動くバイクのおもちゃで遊んだなって‥。
「なるほど、そういうことか…。」調べてみると、昭和40年(1965)年以降、おもちゃはブリキ製からプラスチック製に変っていったようです。昭和30(1955)年代が日本製ブリキおもちゃの絶頂期とありました。
おそらく、hideさんが物心ついたころには衰退していて、私がおもちゃで遊ぶ頃にはプラスチック製のおもちゃが大量生産され、世にあふれていたのでしょう。
子どもの頃には、ブリキのバケツやじょうろなどまだまだ健在で使われていました。
そういえば、金魚のカタチをしたじょうろを
お祭りの露店のおもちゃ屋さんで、見た記憶がよみがえってきました。
ブリキのおもちゃ
では、ブリキとはどういったものなのでしょう。ブリキとは、薄い鉄板にスズのメッキを施したものです。
印刷技術も進歩してきたので、紙のように多色印刷(カラー印刷)ができ、加工も容易であったため、おもちゃに使われました。
そして、ブリキのおもちゃの歴史も古く19世紀半ばにドイツで作られたのが、始まりだそうです。
歴史については、昭和のおもちゃミュージアムのブリキのおもちゃなどで詳しく教えてくれます。ブリキのおもちゃは、コレクターも多くネットで検索すると、たくさんの情報や写真を見ることができます。今でも、愛されているのですね。
セルロイドのお人形さんの今
【町田忍の昭和遺産100 令和の時代もたくましく生きる Kindle版】によると
セルロイドは安くて安価で加工がしやすく、日本でも多くの製品が製造されたとありました。
セルロイドは、ニトロセルロースという科学物質と植物の樟脳を合成した物質で、象牙やべっ甲の代用品としてさまざまなものに用いられました。
日本でも多くの製品が作られましたが、発火しやすいという欠点があり生産が落ち込んだそうです。
童謡「青い眼のお人形」の一節、♪青い眼をしたお人形はアメリカ生まれのセルロイド~♪と、歌われていますが私の記憶の中では塩化ビニールのお人形しか知りません。
小さい頃は、キューピー人形が大好きで
たくさん持っていましたが、すべて塩化ビニール製だったと思います。
【町田忍の昭和遺産100 令和の時代もたくましく生きる】の「セルロイド」の章に平井玩具制作所社長の平井栄一さんが、今もセルロイド人形を製造されと紹介されていました。
人形に「ミーコ」と名前を付けてホームページも自ら立ち上げていると書いてありましたので、検索してみたところ、ありました。セルロイド・ドリームというサイトです。
おもちゃの思い出
子どもの頃育った町は大きな神社があり、初もうでや初午のお祭りの時にはたくさんの参拝客が来るので露店のお店がたくさん出ていました。
境内の中にも外にも、色んな種類のお店が並んでいました。綿あめ屋さん、お面屋さん、飴屋、焼きそば、たこ焼き、唐辛子屋さんも、おせんべい屋さん、食べ物屋さんも多かったけれどおもちゃ屋さんも何件か並んでいて、そのお店を見て周るのが楽しみでした。
高いおもちゃは見るだけでしたが…
手頃な値段のおもちゃは買ってもらえるので
何軒も見てから、決めました。
おままごとセットや、宝石箱、お化粧ごっこ遊びキャラクターがプリントされたまりつき用のゴムボール、ピンポンバスケットポンプの空気が入ると足が伸びるカエル、銀行ごっこ遊びができるおもちゃなどが思い出されます。
男の子は、ピストルや水鉄砲、ヨーヨー、乗り物のおもちゃや、ロボットなんかがありました。
駄菓子やさんでも売っていたおもちゃ
露店のおもちゃさんでも売っていましたが、駄菓子やさんでも買えた息を吹くとぴゆるるんと伸びてもどってくる吹き戻しや、リリアン、風船玉と呼ばれてる銀色のチューブからゲル状の液体を、ストローで膨らまして遊んだものチェーンリング、スーパーボール、次々と思いだされるものです。
記憶は、引き出しにしまってあるものなのですね。
参考・参照元
【町田忍の昭和遺産100 令和の時代もたくましく生きる】